自転車の点灯式前照灯は法規違反?

今回は、少々マニアックな話題です。ただ、自転車乗りには、すっきりしない問題であることは確かです

自転車の前照灯に点滅式のライトを使用しても法律上問題ないでしょうか。

自転車などの車両は、夜間の道路上では灯火を点灯しなければなりませんが、自転車についての具体的な規制内容は、各都道府県の公安委員会規則で定めることになっています(道路交通法52Ⅰ、道路交通法施行令18Ⅰ⑤)。そこで大阪府道路交通規則第10条を見ると、前照灯については「夜間前方10メートルの距離にある交通上の障害物を確認することができる光度を有する」ことが必要とされています。ちなみに、この規定に違反すると5万円以下の罰金に処せられます(道路交通法120Ⅰ⑤)。

 近ごろ、前照灯として点滅式のLEDを付けた自転車をよく見かけるようになりました。こうした点滅式のライトであっても灯火を「点灯」したことになるのかが問題となります。点滅式のライトの場合、灯火の付く時間と消える時間が交互に繰り返されるため、消えている時間については点灯義務違反になるのではないかとも考えられます。しかし、点滅式のライトは通常のライトと比べて外部からの視認性が高いことは確かなので、一概に点灯とは言えないとするには無理があるでしょう。法令が前照灯の点灯を求めた趣旨に沿って実質的に考える必要があります。

 先ほどの大阪府道路交通規則の規定の仕方を見ると、前照灯に期待されている役割の一つとして、自転車の前方を照らして運転者の視界を確保することにより、障害物や歩行者、他の自転車などとの衝突を未然に防止することが挙げられます。ここで、前照灯は、自転車の運転者自身に注意を喚起するための手段と捉えられています。これに対して、点滅式の前照灯は、他者からの視認性は高まるものの、運転者の視界の確保という点では常時点灯式のものと比べて見劣りがします。つまり、点滅式の前照灯は、自転車の運転者よりもむしろ相手方の注意を促すことによって事故を防止しようという点に重点が置かれています(※1)。
※1 点滅式の前照灯は、外部からの視認性が高まるとしても、常時点灯式と比べて位置やスピードを読みづらいという問題点が指摘されています。もしそうであるなら、相手方の予想を超えて自転車が接近することで相手方に危険な思いをさせたり、反対に必要以上の待避を相手方に余儀なくさせたりといったことが起こりえます。

 このように、点滅式の前照灯は、法令が予定している前照灯の機能からずれている部分もありますが、点滅式だから一律に法令違反ということはできません。点滅式であっても前方10メートルの障害物を確認するのに十分であれば違法とはいえないはずです(大阪府の場合)。
 問題は、現に自転車が走っている具体的な時間・場所においてこのような前照灯の機能が果たされておればよいのか、あるいは、真っ暗闇の中を全速力で疾走するような場合を想定して、そのような場面でも上記の機能が発揮されるものでない限り、適法な前照灯と認められないのか、ということです。たとえば、大阪市内の都心部では、夜間でも街灯などによって相当な明るさが保たれていますので、それと反比例して、前照灯の明るさが多少控え目であっても前方の障害物を確認するのに不都合はありません。また、一口に点滅式と言っても、消灯時間が短いほど、また、自転車の速度が遅いほど前方の確認を確実に行うことができます。

 思うに、道路交通法が自転車の前照灯に関する規制を、各都道府県の公安委員会規則に委任している趣旨は、前照灯に必要とされる性能を一般的抽象的に規律するのではなく、地域の実情に応じて具体的に検討すべきとの考え方によるものです。そうであるなら、街灯が整備されていて夜間でも一定の明るさが確保されている地域では、前照灯に求められる条件も緩やかになり、街灯の整備されていない地域では条件が厳しくなってもおかしくありません。このような考え方を推し進めると、前照灯が法令に違反するかどうかについては、前照灯を点灯して走っている具体的な場面において、その前照灯の性能だけでなく、自転車の速度、周囲の明るさなどをも考慮して、前方10メートルの障害物を確認するのに十分であるかどうかを判断すべきであると思われます。

 以上のような前提に立つと、現場の警察官が点滅式の前照灯を取締まることは、事実上非常に難しいのではないかと思われます。点滅式の前照灯でも本当に前方10メートルの視界を確保できるかどうかは、自分が自転車に乗ってみないとわからない、つまり外部から客観的に判定できない場合があるだけでなく、そのときの自転車の速度とか周囲の明るさといった個別事情が関係してくるからです。検挙される場合があるとしても、光度があまりにも低いとか消灯時間があまりに長いため、誰の目にも危険と感じられるような例外的なケースに限られるでしょう。

 もっとも、一旦事故が起こって裁判になった場合、点滅式の前照灯がどのように評価されるかは別問題です。とりわけ対歩行者との関係では、歩行者が危険に気付いたとしても、歩行者が危険を回避する手段は限られているため、自転車の方でより早く危険を察知する必要があります。歩行者がいる可能性の高い道路上では、前照灯は常時点灯させておくべきでしょう。大阪府道路交通規則第10条を見ると、前照灯については「夜間前方10メートルの距離にある交通上の障害物を確認することができる光度を有する」ことが必要とされています。

交通事故相談室にもUPしておりますのでご覧ください。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人生は一から始まらない~個人再生物語

 無防備に笑ったクマと目があった。人形であるので、実際、笑っているわけではないのだが、クマの顔は、このような目、このような口にすれば笑って見えるのだという見本のような顔だと思う。地下鉄が揺れるのにともないクマも少し左右にゆれる。クマについたロープが、無表情な目をした女学生のハーフコートのポケットに伸びていた。クマは、女学生のペットであることがうれしくて仕方がないらしい。

 女学生が電車から降りると広告が目に入った。ポスターの左半分には「債務整理、自己破産、個人再生、過払い」と書いてある、ポスターの右側には健康的な若い女性が先ほどのクマと同じような顔をして微笑んでいる。債務整理が笑って誘うことなのかとふと思った。

 エヌ氏は、最近この手の広告がよく目に付くようになった。27日にはA社へ3万円、28日にはB社へ4万円、C信販会社の引き落としが3万円、月末には家賃の支払い、光熱費の支払いがあり、月末になるとすっかり財布は空になる。その後来月の25日まで、カードで借り入れをして暮らしている。この半年間はその繰り返しである。正確な借入額は考えないようにしているが、300万円以上ありそれも少しずつ増えているのではないかと思う。

 エヌ氏が初めて借金をしたは22歳の時だ。元々預金などしていなかったし、たまたま友人の結婚式が重なり、地元へ帰る旅費もない。普段から仲のいい同僚のワイ氏に相談すると、「俺に借りるよりお店に借りる方が気が楽だよ」と言いA社を紹介してくれた。それまで、金融業者からお金を借りることなど考えたことがなかったが、ワイも借りているのなら自分も借りてもよいかと思い、A社に出かけた。店に入ってみると、照明は明るく清潔な雰囲気である。若い人からお年寄りまで多くの人が出入りしているのには驚かされた。店員に「お金を借りたい」と告げると、窓口に案内された。窓口の女性は笑顔で丁寧に対応してくれた。「10万円ほど貸してほしい」というと、「いざというとこに便利ですから、枠は30万円にしておきましょう」と言われた。そしてうなずいた。その後、細かい説明をされたが、上の空であまり覚えていない。覚えているのは、「月々1万円以上は返済してくださいね」という言葉であった。「1万円でいいのか」そう思った。結局、30万円の枠でカードを作り10万円を借りた。10万円を持って店を出たときお金を借りた後ろめたさなど少しも感じなかった 。

 エヌ氏は、その後、カードを作ったからといって、生活が取り立てて贅沢になったという記憶はない。昼ご飯は以前と同じ会社の近くの食堂で「580円の定食」だ。ただ以前は財布には、千円札が二三枚だったが、カードを作ってからは、1万円札を入れるようになった。月に一二度同僚と飲みに行くとき、以前は割り勘であったのに、気が大きくなり奢ることが増えた気がする。大きな買い物や旅行へ行くことはなかったが、衝動買いで5000円ほどのものなら平気で使えるようになった。
そんなことをしているうちに、週に一度はお金を下ろし、月に一度返済する。そんな生活が定着した。

 気がつくと、3年後には借金は300万円を超えていた。さすがにやばいと思い、節約をするのだが、三ヶ月間節約をしても残高は、3万円ほど少なくなるだけである。何かの弾みで使ってしまうとまた元に戻ってしまう。そんなことを2回繰り返し、アホらしくなった。いつか何とかなると思い、それから残高のことは考えなくなった。そのとき自分の中で何かが壊れたのかもしれない。

 結局、26歳で、返済に行き詰まった。返済が遅れると、債権者から取り立ての電話がかかってくる。ドラマなどでは見ていたが、実際されるとかなりこたえた。自分が打たれ弱いと思った。携帯電話は、極力電源をオフにし、ポストも見ないようになっていった。
 結局自分ではどうしようもなくなり、インターネットで見つけた近くの司法書士に相談に行くことにした。ネットで自分の状況を記入し、送信を押した。

 初めて事務所へ行ったときの緊張感は今でも覚えている。なぜか、小学生の時けんかをして学校に親と一緒に呼び出されたことを思い出した。あの時は先生に怒られることよりも、親に知られ、親の悲しむ顔を見るのがいやだと思った。母親は家では喜怒哀楽を素直に表現する方なので、泣くんじゃないかとも思った。でも、親は少しも悲しい顔をせず、先生に謝っていた。こんな親を見たのは初めてであった。母親にはこんな一面があることを初めて知った。これが大人かとも思った。家に帰っても、普段通り食事をし、お風呂に入ってそして寝た。1週間ぐらいは何か言われるかと思っていたが、結局そのままであった。自分は今でもそのことを少し引きずっている。でも今は横に母親はいない。そんなことを思いながら事務所のドアをノックした。

 司法書士は、私にいすを勧めた。いすに座ると、お茶を入れてくれた。熱いほうじ茶だった。一口飲み、差し出された相談票に名前を記入した。
 司法書士は、斜め前に座り二秒ほど私の目を見つめ、視線を相談票に落とした。次に顔を上げたとき、彼は微笑んでいるようにみえたが、私と目を合わせなかった。私はもう一口ほうじ茶を飲んだ。
 私は、司法書士に、自分の軽率さを怒られるのではないか、軽蔑されるのではないか、なじられるのではないかと考えていたが、彼はまるで感情がないように、借り入れの経緯、生活の状況、仕事のこと、家族のこと、預金そのほかの財産のことを私に質問しメモにとった。
 質問に答えていると、今まで考えるのを避けていた、自分の状況が自分自身でも客観的に感じられるようになった。26歳男性独身 負債額300万円から400万円 収入手取り20万円 資産なし、ただそれだけである。自分にとっては深刻な話ではあるが、世間にはよくある話である。と思った。そう思うと気が少し楽になった。

 一通りの質問が終わると、司法書士は、エヌ氏に対し債務整理の解決方法の説明をした。一般に債務整理には、任意整理、自己破産、個人再生の方法があること、エヌ氏の場合は、任意整理は難しいとの説明を受けた。「どうすればいいですか」と私は尋ねた。私は、司法書士から何か具体的な提案があると思ったが、彼は、少し考えて「一ヶ月間家計簿をつけてみませんか」と言った。それでその日の面談は終了した。私は委任契約にサインをして、事務所を後にした。

 家計簿をつけると言ったものの、はじめは戸惑った。江戸っ子ではないが、宵越しのお金は持たないと言う言葉に、どこかシンパシーを感じる方である。はじめの一週間、帰ってその日に使ったお金を書き出してみようとしたが、めんどくさくて仕方がない。いくらやっても、財布の残高となかなか合わない。一週間後には、昼ご飯とたばこ以外だけを意識するようにした。また毎日財布に入れるお金を3000円と決めた。そうすることにより、多少の誤差はあるもののだいたい収支をつかめるようになった。そして、一ヶ月分をまとめると思っているより出費が多いことに気がついた。15万円ほどで暮していると思っていたが、家賃が6万円、共益費が1万円、光熱費が1万円、携帯電話が1万5千円、食費が5万5千円、たばこ、同僚との飲み会で3万円、これだけで一ヶ月18万円かかっている。月によっては、服や歯ブラシを買わなくてはならない。散髪も行かなくてはならないと思うと、借金が増えたことも納得であった。贅沢していないと自分では思っていたのであるが、収入から考えると贅沢をしていたのかなあと思った。

 エヌ氏は、司法書士が言っていた自己破産、個人再生について考えた。たしかに今の収入では借金全額を返すのは不可能に近い。何らかの法的な手続きはとらないといけないと思う。自己破産と個人再生どちらを選ぶべきだろうか。司法書士は、エヌ氏の場合自己破産は可能だと言った。自己破産をして免責が得られれば債務が返済しなくてよくなるらしい。また、月々2万8000円ほど返済できるのであれば、個人再生も利用できると言った。この場合は三年で返済は完了するらしい。エヌ氏は分からなくなってきた。単に楽だからと言って自己破産を選んでいいのだろうか。借金したのは自分なのに、全く返済をしないことに、少し後ろめたさを感じる。たしかに、消費者金融カード会社にしても、自分が自己破産をしようが、個人再生を選択しようがたいした問題ではないのだろう。また、たとえ個人再生を選択し、いくらか返済したからと言って、人に自慢できることではない。でもそれが自己破産を選ぶ理由になるのだろうか。エヌ氏は、訳が分からなくなった。でも、今の自分は、どちらを選択しなければならない。エヌ氏はそのことが、とても大事なことだと思えた。

 エヌ氏は、30歳になった。結局、司法書士に個人再生の手続きを依頼し、この3月で個人再生は終了する。返済の原資を作るために、 同僚との飲み会も回数を減らし、タバコもやめた。でも、そのことはそれほど苦痛ではなかった。
 エヌ氏は、4年前、個人再生の手続きをとると決めたとき、返済が終われば一から人生がやり直せると思っていた。それから自分の本当の人生が始まるんだと思っていた。

 でも今、返済が終わろうとしているのに、何の高揚感もない。確かに来月から返済がなくなり生活は楽になるだろう。でも、一日三回食事をし、仕事をして、たまに酒を飲み、夜は寝る。そんな生活は今までと変わらないだろう。

 今、エヌ氏はこう考えている。生まれて今までの30年、決していいことばかりじゃない。借金ができ、個人再生を利用したこともあった。でも、それも含めて自分の30年の人生じゃないか。不思議なもので、今まで貯金などしたことがなかったが、通帳の残高は60万円ほどになっている。来月からは、人生をやり直すんじゃなく、今までの30年を踏み台にして31年目の自分を生きていきたい。自分と30年連れ添ってきたんだ、これからも仲良くしてやろう。

エヌ氏はその日少し飲み過ぎたかなと思いながら眠りについた。

(依頼者の立場に立って個人再生を見てみると、自分自身がもっと謙虚にならなくてはと思います。自戒の思いを込め個人再生にまつわるエピソードを掌小説にしてみました。)

                                          → 個人再生相談室

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

尊厳死という前に

 最近、お年寄りと縁があり、いろいろお話する機会が多い。
寡黙な方も、多弁な方も、今までの人生を背負って生きていると思う。
喜び、悲しみ、怒り、あきらめ、歓び、いろいろな感情、経験を昇華させ語る言葉には、重みがある。

人間は、受け入れる受け入れないにかかわらず、死んで行くものである。

人は、周りで多く人の死に接し、徐々にではあるが死が身近なものとなる。

死は、哲学的であり、宗教的であり、現実でもある。

普段は正面から向き合うことはないが、寄生虫のように体の中に混沌として潜んでいる。

人は、本当に大事なことの正体はわからないし、人に伝えないし、伝え方もわからない。

私にできることといえば、その中で呆然と立ち続けるだけである。

私には依頼者を理解できるだけの能力はないが、依頼者が伝えようとしているメッセージを感じられる自分でありたい。

そして、尊厳死を考える前に尊厳のある生き方を考えたい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

おいしいチャーハンの作り方

子供の頃は台所にいるのが好きな子供であった。お手伝いと称し、母親がネギを切る音や、鰹の香りや、ご飯の炊ける匂いのそばにいるのが好きだった。本当は母のそばに居たかっただけかもしれない。そして他の子と同じように、何より好きなのが、料理を盛りつける段に残った端っこをつまみ食いすることであった。日曜日の昼などに母はよくチャーハンを作ってくれた。そんなことがあってか、休日にチャーハンは、自分の中でどこか結びついている。今も休みの日に自分でチャーハンを作ることが時々ある。

さてチャーハンの作り方だあるが、当時母の作り方は次のようなものであった。

材料:肉の切れ端(鶏肉、豚肉などたまにハム) 野菜は残り物(タマネギ、キャベツ、にんじん、ピーマンなど、たまにミックスベジタブル) 卵 ご飯

  1. まず、フライパンにサラダオイルを少し入れる。(油は体に悪いと信じている母親は、どんな料理でも油は少しと決めている。油は焦げ付かないために仕方なく入れるという考えの持ち主であった)
  2. 次に肉を炒める。(母親は肉はしっかり火を通さないと食中毒になると信じている)
  3. そして野菜を入れる。(野菜は半生でも食中毒を起こさないので肉ほど炒める必要はないと信じている)
  4. そして、ご飯を入れる。(ご飯はすでに炊けているから、ほとんど炒める必要はないと考えているようである)
  5. 最後にフライパンの端に隙間を作り、卵を落としスクランブルエッグ状態にする。その後全体を掻きませて、塩こしょうを入れできあがりである。
  6. 食べるときは、好みに応じてウスターソースをかけて食べた。

非常に合理的な作り方だと今でも思う。

当時は、これがチャーハンだと思っていたが、大学生になり下宿をするようになり、中華料理屋でチャーハンを食べると、味が違う。(不思議なことではあるが、中華料理屋に入ったのは、大学になって初めてであった。それ以前は、親と外食に行っても、中華料理屋に入った記憶がない)大学生活は基本自炊をしていたので、何とか中華料理屋のチャーハンの味に近づこうといろいろ考えた。

まず調味料が違うと考え、醤油を入れたり酒を入れたりしたが、いまいちである。また、中華の調味料がいいのかとも考え、ガラスープの素とかXO醤とか、はたまた名前も分からない調味料を買って入れてみたが、しつこくなっただけである。

プロには秘伝があるんだろうと、あきらめかけていたとき、テレビの料理番組で、はじめに卵とご飯を炒めると解説されていた。アレッと思った。東京弁で言うと「ご飯卵はそのままでも食べられるのに初めから火を通す必要ないじゃん。」というものであった。とはいうものの、チャーハン作りに行き詰まっていた私は、卵を入れご飯を炒めてみた。すると、まるで別ものである。卵とご飯とを炒め塩こしょうだけで、今までのチャーハンの10倍はおいしい。そこで気づいたのであるが、料理というものは、単に、生では食べられないものを、食べられるようにするだけじゃないんだということを・・・・(言葉にすると馬鹿みたいであるが、当時の自分にはカルチャーショックであった)

前置きが長くなりましたが30年かけ改良を加えた山本流のおいしいチャーハンの作り方を伝授いたします。

材料

  • 肉類 焼き豚 ハム ミンチの肉など(ミンチの肉は意外とおいしいですよ)
  • 野菜 タマネギ 好みによりレタス、ニンジンその他残り物の野菜
  • ご飯 あまり堅い場合は、電子レンジでチンした方がいいですが、それ以外はあまりこだわりません。
  • 卵(ご飯一膳半に卵一個の割合 ただし、ご飯一膳に卵一個入れると贅沢ですが、炒めやすいです)
  • 調味料 塩 こしょう 好みでショウガ

まず、材料の切り方であるが、できるだけ小さく切ります。ご飯と違和感がない大きさを基準としています。(自分の場合は、ご飯粒3粒ぐらいのイメージです。ただし、にんじんなどの堅いものは、やや小さめに、レタスなどの食感を大事にしたいものは大きめに切ります)

作り方

  1. まず、フライパンを熱した後、油を少し多め(大さじ1杯ほど)に入れる。
  2. 卵を入れ2から3秒掻き混ぜた後に、ご飯を入れよく炒める(3から5分)。ご飯は少なめの方がよい。ほぼこれで出来上がりである。(卵は溶いておいた方がいいと言われますが、めんどくさければ直接入れても大丈夫です。ポイントは、卵とご飯を絡めて強火でよく炒めることです)
  3. 次に肉と野菜を入れる。肉野菜は、炒めるというよりは、ご飯で蒸すという気分で作りましょう。火は中火以下で大きくかき混ぜてください。火が通ればOKです。あまり長時間炒めたくないので、具は小さめに切ることをおすすめします。(レタスを入れる場合は、最後に炒める時間は10秒ほどでいいと思います)
  4. 最後に味付けであるが、塩こしょうでのみで十分です。(ただし、ミンチを入れた場合は、ショウガのみじん切りを少し入れてください)

親に反抗するわけではないが、何故だか、母のレシピと全く逆の順序になってしまった。

味の方であるが、世間でよく言われるぱらぱらのチャーハンと言うよりは、肉や野菜の水分が米に染みこみ「ぱらぱらでふっくらしたチャーハン」となります。

スプーンですくうとこぼれるようなパラパラのチャーハンがお好みの方には、「ホットプレートで作るパラパラチャーハン」のレシピの開発中ですので、リクエストがあれば後日公開いたします。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

「自転車でイヤホン」ダメ  自転車取り締まり強化へ

 警視庁は2月10日、自転車の運転マナーの指導や取り締まりを集中的に行う「管下一斉自転車ストップ作戦」に乗り出したと発表した。
 朝日新聞によると、自転車の危険な運転や、自転車事故が目立つ東京都内110カ所を「自転車対策重点地区・路線」として選び、信号無視をしたり、イヤホンを装着しながら運転したりした自転車利用者を停止させ、35人に警告カードを手渡したとの報道がなされている。

 最近は、自転車の取り締まりに関する報道が目につく。警察としても、マスコミの報道することにより、国民に注意喚起を促しているのであろうが、効果はイマイチのようである。
 私も毎日、自転車で通勤しているのであるが、大きな交差点でもない限り、ほとんどの自転車が信号無視で通り過ぎる。私が止まると、後ろからの自転車にぶつかられそうになりヒヤッとすることもしばしばである。

 しかし一方、自転車に関する規制は、現実的ではない規定があるのも事実である。例えば、道路交通法第53条1項には、「車両(自転車以外の軽車両を除く。第3項において同じ)の運転手は、左折し、右折し、転回し、徐行し、停止し、後退し、または同一方向に進行しながら進路を変えるときは、手、方向指示器または灯火により合図をし、かつ、これらの行為が終わるまで当該合図を継続しなければならない」とある。
 自転車には通常方向指示器はついていないので、左折、右折の時は、行為に前から完了までの間、手で合図を出し続ける必要がある。これに違反した場合は、5万円以下の罰金である。
 このようなことが可能であろうか。直線道路でも、自転車を片手で運転することは、バランスを崩し危険であるのに、まして右折左折の際に手で指示を出すことは、なおさら危険である。

 警察の努力には敬意を表するが、自転車事故の防止に本格的に取り組むには、自転車の乗り方について教育を徹底すること、反則金制度(青切符)を導入すること、法規制を現実に可能なものに改めること等の総合的な対策が必要な気がする。

 自転車の法規制について詳しい解説は、「交通事故相談室」をご覧ください。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

ショッピング枠現金化とネット広告

 警視庁の発表によると「クレジットカードのショッピング枠で価値のない商品を買わせ、手数料といった名目で一部を差し引いて返金する「カード現金化業者」のインターネット上の広告サイトなどについて、プロバイダー(接続業者)やサイト管理者に対し、計120件のサイト削除を要請した」とのことである。

試しに 「ショッピング枠現金化」で検索をかけると、たくさんの現金化業者のHPが未だにヒットする。

 不思議の思うのが、クレジット会社は、カード現金化業者との加盟店契約をどうして取り消さないのだろうか。それを取り消せば、このような営業形態はなくなるのではないだろうか。

 確かに、クレジット枠の現金化と言っても、いろいろなケースがあり、一概に判断するのは難しいか見知れないが、少なくともHPで現金化を謳っている業者に対しては、即刻取引停止の措置をとれないものだろうか。

 日本クレジット協会は、HPで、利用者に対し注意喚起を呼びかけているが、 一方、過去3年間に疑わしい取引を届け出たのは国内カード会社267社のうち4社計43件にとどまっている。

 クレジット会社には、この問題について毅然とした対応を期待したいものである。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

アダルト動画サイト感染 被害110万人

 京都府警の発表によると「アダルト動画サイトの画面をクリックさせ、パソコンをウイルス感染させたとして、京都府警が会社役員らを逮捕したウイルス供用事件で、府警は8日、ウイルスに感染し料金請求画面が消えなくなった被害者が、約10カ月で延べ110万人に上ることを明らかにした。関連口座には約6億円が振り込まれていたという。」
 日本の人口が1億2700万人ほどであるから、115人に一人が被害に遭ったことになる。また、ネット人口が国民の半分、被害者が男性だと仮定すると、29人に一人が被害者と言うことになる。考えれば恐ろしい数である。
 大人の場合は、「馬鹿なことをした」で終わってしまうのかもしれないが、中学生や高校生が被害者の場合はかなり深刻な問題がはらんである。
 家のパソコンが感染し、親にも言えず、友達からお金を借りたり、また、最悪利用料金を得るために窃盗等の犯罪に及ぶことも考えられる。
 今回の事件に限らず、現在社会は、ネットが発達し、クリック一つで情報を得ることができ、買い物ができるようになった。便利と言えば便利であるが、一方今回のような犯罪も多発している。
 学校教育において、学生生徒が、どのようにすれば主体的にネット社会とつきあっていけるかということを、またネット社会は、便利さと危険性が共存していることについてしっかり教えるべきであると思う。一部のプロバイダーが行っている「アクセス制限」では、もはや対応できない時代ではないだろうか。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

GKB47のポスターを見ましたか

[gkb47] ブログ村キーワード

 国会で、自殺強化月間の啓蒙ポスターのキャッチフレーズ「あなたもGKB47宣言!」のキャッチフレーズが「(人気アイドルグループの)『AKB48』をもじったものだ。GKBは若い人たちの間ではゴキブリを意味する言葉だ。人の生死と向き合う自殺対策の言葉としては不適切だ」との批判を受けています。

 現在日本では、年間の自殺者が3万人を超えています。また、自殺未遂者はその10から20倍と言われ、さらに、自殺予備軍の数は600万人を超えるとも言われています。このように見てみますと、自殺は決して特別なことではなく、すぐ近くの人が自殺念慮を持っていることも十分考えられます。

 また、自殺念慮が高い場合、自殺に至る以前に、何らかのサインを発している場合(下記参照)が多く、周りの人がこれに気づき適切な対応をとることで、自殺を防止できる可能性が高まります。

 今回のポスターも、多くの国民に自殺念慮者が身近にいることを、普段から意識してもらい、国民全体で自殺念慮者の発するサインに気づき自殺を食い止めたいという思いを込めているのだと思います。啓発ポスター

 確かに「あなたもGKB47宣言!」の文字だけ見れば、ふざけていると思われるかもしれません。しかし、今回のメッセージが自殺念慮者に向けたものではなく、国民全員に向けたメッセージあることを考えれば、私は違和感は感じませんでした。(画像の右上の小さなものです。小さくてすいません)皆さんいかがでしょうか。インターネットでポスターを探しましたがほとんど掲載されていませんでした。議論をするのであれば、言葉だけではなく、実際のポスターを示した上議論していただきたいと思いました。

大阪司法書士会では、平成24年3月3日に自死予防研修会「いのちを支える」を開催いたします。ご興味のおありの方は、お越しください。→自死予防研修会「いのちを支える」

  自殺のサイン

  • うつ病の症状に気をつけよう(気分が沈む、自分を責める、仕事の能率が落ちる、決断できない、不眠が続く)
  • 原因不明の身体の不調が長引く
  • 酒量が増す
  • 安全や健康が保てない
  • 仕事の負担が急に増える、大きな失敗をする、職を失う
  • 職場や家庭でサポートが得られない
  • 本人にとって価値のあるもの(職、地位、家庭、財産)を失う
  • 重症の身体の病気にかかる
  • 自殺を口にする
  • 自殺未遂におよぶ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

猫ひろし 帰化をすればカンボジア人?

 最近国際交流が盛んになった影響か、スポーツ選手が海外で活躍するケースが多く、また、外国人選手が日本に住む続け、帰化しするケースも見受けられる。たとえば相撲の高見山やサッカーのラモス瑠偉などがそうだ。

 最近は猫ひろしがカンボジア国籍を取得し、カンボジア代表としてロンドンオリンピックマラソン代表を目指しているとして話題になっている。市民ランナーとしてはそこそこ速いが、日本代表には届かず、マラソンがあまり盛んでないカンボジアに帰化し、オリンピック代表を目指すとのことである。昨日の別大マラソンの観ていても、先頭集団さながら、猫ひろしが映し出されていた。確かに2時間30分ほどのタイムで走っており、たいしたものだと感心する。

 さて、猫ひろしは今後どのように生きていくのだろうか。先に挙げた、ラモス瑠偉や高見山は、日本を生活の本拠とし、日本が好きで、日本人として生きていこうと決意し帰化したのではないだろうか。

 猫ひろしの場合はどうであろうか、帰化の動機は、カンボジア人になりたいというよりも、あくまでもオリンピック出場だろう。そうであるならば、オリンピック終了後、どのように生きていくのだろうか。今後の人生をカンボジア人としてカンボジアとどのような関わり合いを持って生きていくのだろうか。
 今回の件でも、帰化が認められたのは、かなり特例であったと思うし、カンボジア側も猫ひろしに対しかなりの期待を抱いているのだと思う。(http://www.j-cast.com/2011/06/22099220.html?p=all)もしも、ロンドンオリンピックが終わった後も、日本で生活し、カンボジアとあまり関わり持たないのであれば、それはあまりにカンボジアに対し失礼ではないだろうか。
 できれば、今後は生活の本拠をカンボジアに置き、カンボジアと日本の架け橋になるような活躍を期待したいものである。国籍を変えると言うことは、やはりそれなりの重みと責任を伴うものだから

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

先生と呼ばれるよりも

 平成生まれの司法書士がちらほらと見受けられるようになりました。私が司法書士になったのが昭和62年ですので、その後に生まれた方が世の中で活躍しだしていることになります。
 大正生まれの先輩は、昭和生まれの方が活躍しだしたときに何を感じたのでしょうか?私のよう感慨を持ったのでしょうか。それとも、世の中が戦争絵大変でしたので、そんなことを考える余裕はなかったと言われるかもしれません。
 わたしは、昭和から平成に元号が変わった時よりも、平成生まれの人たちが活躍しだした今、平成の時代が始まったんだという気がします。司法書士になって24年がたち、今年53歳になります。 

 司法書士になったのは、28歳の時でした。当時の司法書士は、一度社会人になったものの会社とうまくいかず、独立して飯が食える仕事として、3年から5年ほど一生懸命勉強し、試験に合格したという人がとても多かった気がします。私自身も、一度会社勤めをしていましたので、同期の司法書士と、会社勤めの頃の苦労話に話が弾んだのを覚えています。当時の司法書士の印象は、バカではないけれど、秀才というわけでもない。でも、努力家だし一度社会に出ているだけに、人間に痛みや寂しさや弱さや優しさは肌にしみて知っている。そんな仲間がたくさんいました。

 司法書士になって、「先生」と呼ばれるようになりました。はるかに年配の方にも先生といわれるのです。初めはとても気恥ずかしく、「山本」と呼んでくださいと言ったりもしたものです。でも、弁護士、土地家屋調査士、税理士、お医者さん、ピアノの先生、政治家、画家、政治評論家、軍事評論家、コンサルタント、気が付くと周りは、みんな先生です。別に敬語ではなかったんだということを知り(本当は、少し軽蔑が混じっているんじゃないかなと思うこともしばしばです)だんだん気にならなくなりました。
 顔は覚えているけど名前の出てこない司法書士に会った時など、「先生久しぶりです」と挨拶すれば、相手も「先生久しぶりですね、お元気ですか」と、とてもスムーズに会話ができることを知りました。

 ところが最近弁護士さん同士の会話の中で「〇〇〇〇弁護士」という呼びかけをしているのを聞き、ハッとしました。これって使えると思っています。だって「山本司法書士」言われると身が引き締まる気がしますもの。「先生」にお願いするのではなく「山本司法書士」にお願いすると言われたいものです。

「山本英樹司法書士事務所」エッセイにもUPしています。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

フォロー

Get every new post delivered to your Inbox.